首に手をかけると、黒いハットがふわりと落ちた。美しいキャラメル色の髪が輝く。瞳は、まっすぐわたしを見ている。喉ぼとけのごつごつした感触。力を緩める気などなかった。爪が食い込んで、あなたはほんの少し顔をしかめた。わたしはそれにびくついてしまって、結局手を放した。
幾度か咳をして、ゆっくりと帽子を拾う。丁寧に細かい砂を払い落として、被りなおした。
「馬鹿って言って」
わたしは立ち尽くしたまま言った。入道雲が真っ白で、抜けるような青の中に生きていた。みんな、敵だった。
わたしを見下し、排除しようとしている。
「どうして」
何を言ってるんだろう、馬鹿じゃないの。爪の痕が、掠り傷みたいに赤くなっている。
ねえ、なんで微笑んでるの?
帽子をとり、わたしに被せる。それは少し大きくて、目深まですっぽりとおさまってしまった。わたしの知らない匂いと、真夏の生ぬるい空気が混ざってゆく。
あなたの手つきは、どうしてそんなにも優しい。どうしようもない子供を、なだめるみたいに。
「きみは馬鹿じゃないし、ぼくは幸せだよ」
髪がふわりと舞う。全身真っ黒なあなたには、そのやわらかい色はとてもよく映えていた。スーツでどこへ行くのか、わたしはなんとなくわかっている。
「偽善者」
足の裏が汗ばんで、サンダルを脱いでしまいたかった。ぬるぬるして、気持ちが悪い。ゆるやかに吹く風は、この人を早く連れて行こうとしている。
「ありがとう」
あなたはそう言って、帽子の上に手を置いた。あなたは本当に、馬鹿じゃないの。
わたしも偽善者になりたかった。信じられるものが何もなかった。あなたのこの手を、信じたかった。そのまま遠いところへ消えるなら、わたしはあなたを知らなければよかった。
やがてゆっくりと放し、最後の笑顔でわたしを見て、どこかへ歩いていった。入道雲は更に大きくなっていた。
わたしは、立ち尽くしたまま泣いた。